フリーランス日本語教師がたどり着いた「就職」とかいうユートピア
最近、新卒フリーランスというのが流行っているみたいですね。
私、彼らを笑えないんです。
なぜなら私も就活に失敗した、「ほぼ」新卒フリーランスだったから。
なぜ「ほぼ」なのかというと、最初の1年は役所でアルバイトをしていたんです。「臨時職員」と呼ばれています。
ちょうどその頃、派遣切りというのが流行っていて、派遣切りされた人たちも一緒に働いていました。
役所のアルバイトって何するの?という感じですが、要は公務員の仕事の中で雑魚でもできそうな仕事をやるのが臨時職員です。
太刀打ちできないと思ったら正規の公務員を大声で呼びに行くのもお仕事です。1年契約できっかり一年間働きました。
もちろん、定時に上がらないと怒られる(直属の上司がその先輩に「きちんと監督しろ!」と怒られる)という、さすが公共機関だなという感じの超絶ホワイトでした。ちなみにその上司はなぜかその先輩に目をつけられており、ネチネチ嫌味を言われたり突然怒鳴られたりしていてすごく怖かったです。公務員って勤務条件はいいけど、変な人もいるから人間関係は大変なんだろうなぁ〜。しかもおいそれと辞められないし。
職場は家から近かったので、空いた時間を利用して日本語教育能力検定試験に合格して、韓国語能力試験(TOPIK)4級もとりました。県主催の養成講座を修了して、日本語教師のボランティアもしてました。
結構充実してますよね?
そうなんです。私だけじゃない。公務員の皆さんってイキイキしてるんですよ。
子供の運動会なんで休みます。
法事で田舎に行くんで休みます。
サッカーで遠征するんで休みます。
朝出勤すると、大抵誰かが休んでいる。朝礼で「えー今日はAさんが休みですので。BさんとCさんはよろしくお願いします」という日が多分週に3回くらいある。
北海道の区役所を舞台にしたアニメ(漫画)があったけど、確かにだいたいあんな感じです。すっごくリアルで驚きました。 このアニメにも、趣味で漫画を描きながら公務員をしているキャラクターが登場しますね。
私はここで働くまで、公務員って死んだ魚のような目をして働いてるんだと思ってました。例のパワハラ被害者は別ですが。
それから数年後。私は結婚して、韓国で日本語教師をしていました。
結婚するまでは大変でした。だってねー全然就職できないんですよ。面接ではすっごくいい感じなのに、一切連絡来ないんです。不法就労を勧められた事も一度や二度ではありません。
きわめつけは網タイツ穿いた日本人に「結婚してから来たらどうですかぁ?うちの先生は全員結婚してますよぉ?」と笑われたことでしょうか。うるせーよ網タイツ。網タイツ好きな旦那さんでようござんしたな。
ちょうどそのころから常勤(=ビザ発給できる)の募集はどんどん減っていって、地方しかないという状態に。だったらなんで縁もゆかりもないソウルに出てきたのか。非常勤講師として働けるのは、ビザのある先生だけ。どうしよう…。「もっと真面目に探せ!手を抜くな」「募集がないんだよ!」と喧嘩も絶えませんでした。おっぱの仕事だって見つからないくらいなのに、外国人の私に仕事があるわけありません。
結局、おっぱはなんとかクソみたいな会社に就職し、私たちは結婚することにしました。結婚式はまだ挙げられていません。私は一生に一度の大切なイベントと引き換えに、働く権利を手に入れました。
その後、おっぱはこのクソみたいな会社で体を壊し、主夫になりました。
ビザを手に入れた私はいくつかの日本語学校で働きました。
一つは、日韓交流サークルに毛の生えたような学校。
一つは、某大手駅前チェーン。
一つは、個人経営の小さな教室。
それぞれに問題があり、すべて非常勤でした。
非常勤講師というのは、韓国の法律では「プリレンソ*1」扱いとなり、給料から税金の3.3%を引かれ、四大保険はありません。
もちろん時給制。準備に何時間かかろうが、実際に教壇に立って授業した時間分しかもらえません。これは塾講師の経験がある方ならおなじみですね。
教師登録に必要な書類が経費で落ちますんで領収書忘れないでくださいね!と言っておいて普通に自腹だったりと、色々とわけわかめ*2でしたね。
韓国の日本語学校というのはですね、学生のほとんどが大学生か社会人なので、夜か週末にしか授業ができません。夕方起きて、明け方寝るという生活…。完全に昼夜が逆転しました。たま〜に主婦などでお昼の授業もあったはずなんですけど、どうやって切り抜けたか覚えてないですね。
並行して、プライベートレッスンもしていました。これが本当に大変だった〜。学校の方がまだましです。お金を持ってこない。すっぽかす。連絡が取れない。だめだこりゃ。
そんなこんなでちょっと疲れてしまった私。ちなみに、持病の卵巣嚢腫もこの時悪化したくさいです。その後手術で取っちゃったのですが、その話はまたいずれ。
普通の会社でも、「思ってた仕事と違うな」ってことは十分あると思うんですよ。
でもフリーランスだと、どうしても立場が弱いから「あれっ?」と思っても強く出られない。やめたら無一文だし。愚痴を言い合う仲間もいない。自分が決めた道だから、「やっぱやめた」なんて恥ずかしくて言えないし。
次に選んだのは、フルタイムのアルバイト。びっくりしました。そこは、お昼ご飯が全部タダだったんですよ。きちんと毎日食べることで、ものすごく体調が良くなりました。ちなみにその後タダ働きさせられそうになったので逃げましたけど(笑)
私はものすごい夜型で、日本語教師の仕事が合ってるんだと思い込んでいました。
でも、違ったんですね。人間、やっぱり朝起きて夜寝た方がいいのかもしれない。
いや、もしかしたら若い頃はそうだったのかもしれないんだけど、歳をとるにつれて朝型に変化していったのかもしれない。今、自分は夜型なんだと思っているあなた。諦めましょう。勘違いですそれは。
私は子供の頃から、変わった子供だ、変な奴だと言われ続けてきて、「そうか、私はヘンなんだ、普通の生活を望んじゃいけないんだ」と思い続けてきたんだと思います。
でも隣の国とはいえ海外に出てきて、色々な国の人に出会ってきて、私は意外と平凡なんだということに気がつきました。小さな役所でアルバイトしているだけでも、めちゃくちゃ変な人が連日訪れていたし。
それから私は意を決して、日本でいうハローワークに行って、職業訓練を受けて就職しました。
今私は、2度も通う会社を失って、3つ目の会社に通っています。
でもその2度とも、失業手当が受け取れる状態にあったので、余裕をもって就職活動ができました。すごい変化です。日本語教師のときは、授業が一つなくなるだけで、SEKAI NO OWARIみたいな心境だったのに。
自分の机もある、バグが出て「なにこれ?」とアワアワしている時間にも給料が出てる。結論の出ないぐだぐだした会議も、上司の無駄話に付き合わされてる時も、競合アプリをみんなでダウンロードしてあーでもないこーでもない言いながらいじくってる時も儲かってる。コーヒーもタダ。
日本語学校では、コピー取るのも休憩時間だったのに。こんな人として当たり前のこと、忘れてました。
最初の会社は残業が多くて大変だったけど、前の会社と今の会社は社長がエンジニア出身ということもあって、社員をそれなりに大切にしてくれます(前の会社はつぶれたけどね)。
今考えると、最初の職場が役所だったのは良かったかもしれない。つまんない仕事に見えてもそれなりに面白いところや工夫の余地はあるし、私生活が充実している人たちってやっぱり輝いている。
例のパワハラ被害者だって、私生活では彼女もいて普通にリア充だった。彼女との将来を考えてパワハラに耐えていると考えたら闇が深いけど…。
そんなこんなで何が言いたいかっていうと日本語教師はやめろ!!って話でしたあ
だってさー「日本でうまく行かなかったら海外飛んで日本語教師でもすっか」とか思ってそうじゃないですか、ねえ?